2008年5月12日月曜日

公益企業の発達

都市人口の増大と住民の異質性の増加によって、小範囲の熟知の間柄における生活協同慣行や消費生活様式の斉一性は消失した。しかし反面において間接的ではあるが、より大きい範囲における生活協同の必要が痛感されてきた。すなわち水道・塵芥処理・電燈或は諸施設を通じての新しい協同である。
これらは国家あるいは地方公共団体の手で直営され、また民間の私企業としても起こったが、ここでは明治期を通じてみられた、自治体によって営まれたこれら企業の成立発展の過程を概観して、都市の消費生活における新しい変化をうかがってみたい。
市営上水道事業の成立と発達
都市生活における飲料水の問題は、もちろん明治時代に至って始めて生じたものではない。共同井戸・水売りなどの素朴な方法から、水道による引水方法まで、さまざまの工夫がすでに明治時代以前から行われてきた。そして江戸時代において公共的な上水道工事が成立していた事例として、次のようなものが知られている。
[飲料用水道]江戸・赤穂・高松・水戸・福山・中津・宇土・名古屋・鹿児島(以上公設)長崎・越ヶ浜・大津・久留里・神奈川(以上私設)
金沢・鳥取・指宿・五稜郭(以上主に官公用)
[飲料灌漑兼用]仙台・静岡・佐賀・米沢・富山・福井・豊橋・小田原(以上公設)
これらの中には、1889年(明治22年)以前に廃絶したものも多少あったが、だいたい、明治22年、市制町村制の実施とともに、市営または町営に移管された。しかし、以上はいずれも、旧式の上水道であって、欧米の施工法に倣ったいわゆる近代的な上水道ではなかった。こうした近代的な改良水道のはじめは、1877年(明治10年)に竣工した横浜水道とされている。これは当初県営で、資金は主として国庫の補助に仰いだが、1890年(明治23年)に、市営に移された。以後、同様の改良水道事業が、各地にあいついでおこった。その主なのを摘記すると、次のようになる。
函館水道 1889(明治22年)12月竣工 (明治32年区制施行)
長崎市水道 1891(明治24年)3月竣工
大阪市水道 1895(明治28年)10月竣工
広島市水道 1898(明治31年)8月竣工
東京市水道 1898(明治31年)12月竣工
岡山市水道 1905(明治38年)3月竣工
神戸市水道 1905(明治38年)7月竣工
下関市水道 1906(明治39年)3月竣工
これらの公企業としての上水道事業は、当初から地方自治体の力によってものではなく、これも中央政府の強力な指導と財政援助によるところであった。1890年(明治23年)2月の「水道条例」の発布によって、「水道は市町村其公費を以てするに非ざれば之を布設することを得ず」と規定され、水道は公益企業として、ほとんど、その当初から公営化された。そして、これは1889年(明治22年)の市町村制の実施と相関しているところであった。また、政府は、まず三府五港またはこれに準ずる都市に水道を布設する方針をとり、そのために多額の国庫補助を与えて、その助成をはかったのである。すなわちこれらの都市は、「国中人民の集合」するところであり、「外国との交通頻繁」の地であるから、政府の誘掖によって、水道改良事業を促進し、またこの区域に限って起業費の三分の一を国から補助する等の手段を講じたのである。1900年(明治33年)頃からは、伝染病予防・工業発展等のため、補助区域をかなり拡大しているが、ともかく、以上の市栄水道は、主としては、政府のこうした政策の結果を示すものであった。ただ、岡山市は多少事情を異にし、普通のしにおける近代水道の先駆として、特に注目されるところとなっている。
さらに、これはまた外国人技術者の指導によるところが大きい点も、注意すべきであろう。たとえば、横浜水道のパーマー、函館水道のクローフォルド、長崎水道のハード、大阪水道のパーマーとバルトン、東京水道のバルトン・クロース・パーマー・ギル等であって、初期の近代的水道の設計や施行は、ほとんど、これら外人雇技師の助言によって、とりはこばれたのである。とにかく、欧米に倣った近代的水道企業は、だいたい市町村制の確立以後、当初からその公企業として発足し、政府の強力な援助のもとに、まず、三府五港に布設され、ついで、一般の都市にも普及してゆくのであるが、その時期は目地40年代に入ってからであり、ひろく一般化するのは、むしろ大正期をむかえてからであった。これはほぼ都市人口の増大と相関していると、大まかにはとられることができよう。
もちろん、前途の公営水道の竣工までの経過は、けっして単純なものではなく、またその計画も市制実施以前に発端している。たとえば、横浜ではすでに1871年(明治4年)に水道会社が創設が計画されて、明治6年には一部に通水している。しかし、この旧式水道(後県営となる)は多くの欠陥があったので、明治16年に新式水道が企てられ、明治18年に着工し、1877(明治20年)に竣工したものでであり、また、大阪水道は明治13年に早くも水道計画が立てられ、さらに同19年にもその企画があった。しかし、両者とも着工にいたらず、ようやく明治23年に入って、計画が熟し、いろいろの曲折を経て、1895年(明治28年)竣工をみたのである。
1890(明治23年)の「水道条例」によって、水道企業はすべて公企業と規定される以前には、私企業としての水道計画も、多少はみられた。前述のように、横浜の明治4年の水道会社もその一例であるが、そんほか、明治21年の郡山水道会社、明治13年にはじまり、明治22年に具体化した新潟の有料水道計画、明治21年の東京水道会社の設立の出願、あるいは22年の神戸の水道会社の設立計画などがある。また秋田では、早くも明治7年に水道計画が立てられたが実現にいたらず、こえて明治17年及び20年に水道企業の出願があり、設計も進められたが、着工には及ばずして終わっている。
つまり、以上のように、明治20年前後から、私営の水道事業計画が各地の都市で企てられているのは、すでに貿易港や鉄道の要衛として早くも人口が激増した新興都市において、流行病の対策上も浄水の確保が問題になっていた事を示している。政府の水道対策は実はこうした情勢に対処して樹立された「水道布設の目的を一定する件」では、水道公営の原則を提唱しているが、それは地方行政官庁の直営を意味するにすぎなかった。それ故、同20年11月には「市街私設水道条例」をも閣議に提出し、水道の私営企業を一方では認めようとしているのである。市町村制の発布によって、近代的地方自治団体が成立するとともに、公営水道の企業主体は、それに確定した。明治23年の「水道条例」の公布は、その結果にほかならない。
つまり、旧式の公営的上水道はすでに江戸時代において、一部の都市の中にみられ、また明治初年においても、局地的には私営の水道企業は早くも見られた。しかし、初期の私営水道はいずれも永続せず、しかも、それはほとんど公設的水道とさしてかわらず、いわば営利企業としての色彩は一般に稀薄であった。明治20年前後には、陸続と私営水道企業の計画があらわれたが、そこにも公共的な性格がつよく、また、大部分は竣工前に、公営水道に限定する政策の公布をみている。明治の水道事業が、ほとんど当初から、公益事業として発達し、各市町村を企業主体として展開している事情は、注目すべき点であろう。これは日本におけるこうした種類の営利企業の伝統が浅く、中央政府の指導と助長策によってのみ発達しえた故であろう。
水道事業はもっても早く公益事業として確立したが、これらも市町村制の成立を契機とし、日清・日露両役の間にようやく本格的に発達し、されに一般都市への普及は明治末年から大正期にかけてであったことを知るのである。そして市民の居住地区はいつも少しずつ給水地域よりもさきに拡がっており、また共用の水道栓が多くて十分であったとはいえないが、便所に近い多すぎた共同井戸や、通り庭などに設けられた井戸のうち、不良のものから次第に整備されて、これは他の新施設と結びついて、市民の住生活に新しい条件を広汎に打ち出して行った。
市営下水道事業
しんどいので省略

仙台市上水道

1、沿革
仙台市は慶長15年12月藩祖伊達正宗城を青葉に築き治府を創せし以来、奥羽樞要の大都会とし殷振を極めたりしが、維新以降は殊に諸官公衛、官公私立学校設立され諸会社、工場等の設置また年を遂うて多きを加へ来往するものいよいよ増加し市勢大に発展せり、然るに市内通水に乏しく廣瀬の清流ありといえどもその流域ほとんど市外に在り、しかも県崖数丈の下を流るるを以て、わずかもその効なかく僅かに井水を以て飲料及び防火の用に供し来るも、元来当市は地層の関係上井水の湧出量少なく、往々臭気を帯び乾燥の季に際しては枯渇して飲料すら尚不足を告げ、一朝火災あるも消防の具其用をなさざること少なからず、ただ僅かに元禄、承應の頃開鑿せられたる四谷堰ありて、郡部灌漑の余水を市中に通水すといえども、是亦水路の崩壊頻々として殆ど其用をなさず、明治22年市勢実施せらるるや水利を講じて上水の欠乏を補い、下水の排除を完ふせしめんとし市内測量に着手し明治26年3月其完成を見たるを以て、同年7月内務省衛生局傭英人「バルトン」に調査を依託し其報告に基き同30年12月工学博士中島鋭治を顧問に工学士西尾虎太郎を設計主任に嘱託して上下水道設計に着手し同31年12月両工事の設計完了を告ぐ、

2008年4月17日木曜日

「飲料水注意法」(全10カ条)内務省明治11年5月内達乙第18号

「不潔の水を飲料に用いることは人身の健全を害することはもちろんであるが、従来の都市いおける風習で、粗造の井戸側を用いたり、下水(排水施設)がなかったり、あるいは、それがあっても井戸に極めて近いため井戸が汚染されるおそれがあるので、今後、共同私有の区別なく、別紙飲料水注意法に照らし、新築又は修理するよう、各自に伝えること。但し、時々警視官吏を巡回させて、実地検査をさせること。」
  1. 井側の破壊されているものは速やかに修理すること。
  2. 井戸流しの大破しているものは新築、小破しているものは板や亜土等で閉塞すること。
  3. 井戸に下水(排水施設)のないものは新たに設けること。
  4. 地形上他の所有地を通らなければ井戸を開設できない場所であっても、地主と協議して、開設するよう努力すること。
  5. 下水を新たに設けることが困難な場合は、当分、汚水溜を設けることもやむを得ないが、必ず井戸から2間以上の距離を置くこと。ただし、2間以上確保できない場合は、板又は亜土で汚水が漏れないようにすること。
  6. 井戸から3間以内に便所を作らないこと。既存の便所も改築の際に改めること。
  7. 井戸の近くで汚物を洗浄したり、魚鳥の骨腸等を捨てないこと。
  8. 呼び井戸の井管が壊れた時は速やかに補修すること。
  9. 上水用井戸の場合は、汚濁又は臭気がある時は、速やかに府庁又は担当区務所に調査を申し出ること。
  10. 毎年少なくとも1度井戸浚いを行うこと。

2008年4月14日月曜日

別府市上水道

(1)沿革
別府市は九州東海岸の中央瀬戸内の西端に位し、天然の地勢と山海の景勝を占め鉄路の便海運の利に富み、市街田園砂汀渓谷到る所温泉の湧水多しく、海内無比の保養慰安地として四時浴客の往来絶える事なく、その数年々百万を越え尚益々激増の優勢に在り、然るに本市は温泉の豊富なるに反し飲用に適当なる清水を得る地域極めて少なく、僅かに簡易水道を設け土管を以って引水し来たりたるも固より完全なる能はず、往々悪疫の流行を招来し発展を阻害すること著大なりしを以って、明治39年以来上水道布設に関し度々協議し、42年1月朝鮮京城水道副工事長二星三郎に嘱して自然流下式に依る設計を樹てたるも、未だ具体化するに至らず中絶の観を呈せしが、44年4月に及び機漸く熟し水源を市内鮎返の渓谷に卜し、工費総額29万円を以って向かう2ヵ年の継続事業とし、同年5月16日町会の議決を経て施工及び国庫補助下附の稟請書をその筋に提出したるも、設計内容の不備及び国庫補助の詮議不可能となりたる等の為め、設計内容の改訂予算及び収支方法の変更を行い、大正元年10月21日改めて町会の議決を得その筋に再稟請し、2年7月11日に至り敷設の件認可せられたるを以って諸般の準備を整へ、大正3年3月工事に着手し6年3月竣工給水を開始せしものなり。
(2)工事設計大要
給水区域 市内大字別府及び濱脇の市街部
給水予定人口 25,000人
給水量 1人1日平均3立方尺同最大4立方尺、時間最大7立方尺
水源
乙原貯水池及び鮎返聚合池の両者を併用す、乙原貯水池は全水量の6割を供給する水源にして、頂長200尺、直高54尺、半径300尺の円弧より成る重力式粗石コンクリート堰堤を築造し、満水面積770面坪貯水量645,000立方尺、有効水深40尺、有効貯水量630,000立方尺を貯溜し、12寸導水管により浄水場に送水す。鮎返集合池は全水量の4割を取水する水源にして、乙原貯水池の東方約500間を距つる見牛の瀧壺を利用し上下2個のコンクリート堰堤を築き、水面積上下約50面坪を貯溜し6寸管により浄水場に導水す。
浄水場
鮎返集合池に近き市内字朝見に在り、濾過池3個及び配水池2個を設備す。
濾過池
長90尺、幅56尺、深8.75尺の粗石コンクリート造にして、濾過床の厚4尺濾過速度1画夜8尺3個の内1個は予備なり。
配水池
各長55尺、幅36尺、有効水深11.5尺、有効容量19,065立方尺、2個を合し人口25,000人に対する最大給水量の約9時間分を貯溜するに足る、鉄筋コンクリート造にして各池共3条の導流壁を設け接水面は煉瓦張となし、アスファルト防水工を施し池上には全部共蓋を設け厚2尺の堆土を行い通気孔を備える、溝水面の標高海抜227.5尺なり。
配水管
12~4寸内径の鋳鉄管にして幹線を12寸管とし、漸次小管を分岐し普く市街に給水す、尚我邦の水道工事に於いてコンクリート混和剤として珪藻土を使用した。
(3)拡張計画
上水道完成以来浴客激増し本市の発展益々著しく、大正13年末の人口将に4万に垂んとし給水に不足を来し、時に制限給水を行うの止む得ざる状態に陥りしを以って、拡張工事を行うに決し14年2月市会の議決を経て施工をその筋に稟請し同年7月31日認可あり、実施設計も亦15年1月23日付認可せられたるを以って、目下鋭意起工の準備中なりという、計画の大要次の如し。
給水区域 別府市一園
給水予定人口 75,000人
給水量 1人1日平均4、同最大6立方尺
導水管 水源は在来通りなるも、乙原貯水池より浄水場迄新たに14寸管1条を増設す。
量水池 導水管の終点に量水池を新設す。
濾過池 コンクリート造長29.45m、幅20.15mのもの4池を増設し、尚従来の経験に徹し水質良好なるを以って1画夜の濾過速度を4mに変更す。
配水池
新たに長21.5m、幅18m、有効水深4.3mのもの2池を築造す、其の底及び側壁はコンクリートにして導流壁及び覆蓋は鉄筋コンクリート造なり、以って人口75,000人に対する最大給水量の8時間分を貯溜せんとす。
配水管
第2幹線として新たに406.4mmの鋳鉄管1条を増設し、秋葉町4丁目に於いて在来の幹線に連絡せしむ。
工期 大正14年度より着手し、16年度に於いて竣工の予定なり。
(4)工費及びその財源
省略
(5)関係技術者
創設工事
工事部長 技師 大塚藤十郎
       同  石井一夫
拡張工事
顧問    工学博士 西田 精
主任    技師    石崎 貞二郎   

2008年3月1日土曜日

大分市上水道

(1)沿革
本市は下水道の部に於いて述べる如く地理上水陸要衝の天恵を有するも北方直に海「に面する地形なるを以て市域自ら低湿なるを免れず、されば先に下水道を布設して汚水を疎通を講じ以て保健衛生を資する所ありしも井水は依然として不良のもの多く年々悪疫の流行を断たず、現に於て上水道を布設し下水道と相等つて衛生施設の完全を期し併せて火災に対する保安を維持せんとの講熟し其計画を元大阪市水道部長澤井準一に嘱託し設計の完成を告ぐるに及び大正13年12月15日市会に提出翌16日其議決を経其翌12月17日を以て内務大臣に布設の認可を申請し大正14年4月8日認可せらるゝに至れり。
(2)計画の大要
給水区域 : 大分市。
給水人口 : 第1期計画 70,000人、 第2期計画 10,000人
給水量 : 1日1人平均給水量 100ℓ、 1日1人最大給水量 150ℓ、 時間最大の1日給水量 200ℓ
水源の位置と其施設 水源は市内大字畑中地先大分川にして同所の寄洲内 七瀬川落合下流約450m、河底に内法0.75m角の鉄筋コンクリート造集水管を流心に沿いT形に延長222mに亘り埋設するものにして此有効長156mとし其周囲に穿ちたる無数の短冊形の孔より浸透水を集め導水管を経て接合井に至り喞筒吸水井に導くの構造なり、管中心高は毎抜1.5mにして総て水平に設置し周囲は砂利及び砂にて囲み以て清浄なる水を取るに務む、導水管は内径0.9mの鉄筋コンクリート管にして此延長148m。
ポンプ場及び送水線路
ポンプ及水溝は鉄筋コンクリート造内法4m角深さ6mのもの2個を連続築造し各井間は、457.2mm,
制水扉により連絡し覆って鉄筋コンクリート床版を以てす、送水ポンプはその数4台にして夫々毎分2.43立方mの水を総水頭65mの高さに揚水し得る電動機直結タービン型渦巻ポンプにして内1台を予備とす而して第2期工事に於いてもその適当のものを据え付け得るの設備とす、出水口は内径406.4mmの鉄管2条を用いポンプ場外に出で、1条となり量水管室に入り逆止弁を経て浄水場接合井に至る。
浄水場の位置とその施設
浄水場は大分市大字三芳にありこの所に濾過池及び配水池を設置す。
濾過池
濾過池はその数4個にして内1個を予備とす1池の大きさ幅30m、長さ35m2個宛相向かって配列しその間の側壁を導水溝に併用せり、濾過層は砂利厚0.3m、砂厚0.75mにして砂面上1.2mの水を湛えるものとす、池は全部鉄筋コンクリート造とし且つ池底にアスファルト工を施し漏水を防ぐ出口には節制機を取り付け濾過速度の調整を行う、濾過速度は24時間にして
3.5mとす。
配水池
配水池は長方形にしてその数2個とす、1池の大きさは長さ26.5m、幅20m、有効水深30m、2池合計3,180立方m最大1時間給水量の5時間分を有す、池は全部鉄筋コンクリート造とし底部はアスファルト工を施し以て漏水を防ぐ各池共2条の導流壁を設け水の停滞を少からしめ且つ覆蓋を設けその上に置土をなし可及的水の受くる寒暑の影響を少なからしむ溝水面の標高48mなり。
配水工事
配水管は内径457.2mmを以て起り中央幹線となり青山神社横を大道通に出で鉄道を横断し、西新町外堀の交差点に至り東部及び西部の両幹線に分れ、東部幹線は内径406.4mm西部幹線は355.6mmとなり以下順次管径を減じ本管は254mmを以て止む配水支管は内径203.2mmより88.9mmを用い給水区域の大小により適宜按配しかつ街叉点及び約100m毎消火栓を設置す、配水管中の最大水圧約32.7m、最小は幹線の末端に於いて優に19mを保ち得る計画とす。

(3)工事予算額
省略
(4)工期
起工 : 大正14年4月 竣工予定 : 大正16年3月
(5)関係技術者
顧   問 澤井準一
主任技師 坪根守利