1、沿革
仙台市は慶長15年12月藩祖伊達正宗城を青葉に築き治府を創せし以来、奥羽樞要の大都会とし殷振を極めたりしが、維新以降は殊に諸官公衛、官公私立学校設立され諸会社、工場等の設置また年を遂うて多きを加へ来往するものいよいよ増加し市勢大に発展せり、然るに市内通水に乏しく廣瀬の清流ありといえどもその流域ほとんど市外に在り、しかも県崖数丈の下を流るるを以て、わずかもその効なかく僅かに井水を以て飲料及び防火の用に供し来るも、元来当市は地層の関係上井水の湧出量少なく、往々臭気を帯び乾燥の季に際しては枯渇して飲料すら尚不足を告げ、一朝火災あるも消防の具其用をなさざること少なからず、ただ僅かに元禄、承應の頃開鑿せられたる四谷堰ありて、郡部灌漑の余水を市中に通水すといえども、是亦水路の崩壊頻々として殆ど其用をなさず、明治22年市勢実施せらるるや水利を講じて上水の欠乏を補い、下水の排除を完ふせしめんとし市内測量に着手し明治26年3月其完成を見たるを以て、同年7月内務省衛生局傭英人「バルトン」に調査を依託し其報告に基き同30年12月工学博士中島鋭治を顧問に工学士西尾虎太郎を設計主任に嘱託して上下水道設計に着手し同31年12月両工事の設計完了を告ぐ、
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